大判例

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津地方裁判所 平成9年(わ)236号 判決 1999年6月23日

甲野一郎

乙山二郎

右両名に対する強盗殺人、死体遺棄、強盗、殺人、窃盗各被告事件について、平成九年三月二八日津地方裁判所四日市支部が言い渡した判決に対し、右両名の弁護人から控訴の申立てがあり、平成九年九月二九日、名古屋高等裁判所が、刑事訴訟規則二九条二項の「被告人の利害が相反しないとき」に該当しないのに、原裁判所は同一の国選弁護人を被告人両名の国選弁護人に選任し、これを維持したのは右規則に違反するとして、訴訟手続の法令違反を理由として原判決を破棄し、本件を津地方裁判所に差し戻すとの判決をしたので、当裁判所は、検察官石田一宏及び川瀨雅彦、被告人乙山二郎の弁護人石川貞行及び木村良夫、被告人甲野一郎の弁護人浅尾光弘の出席の上、改めて冒頭手続から審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人甲野一郎を死刑に処する。

被告人乙山二郎を無期懲役に処する。

理由

(被告人両名の経歴、共犯者らとの関係)

第一  被告人甲野一郎の身上経歴

被告人甲野一郎(以下「被告人甲野」という。)は、昭和三〇年三月、三重県三重郡内の中学校を卒業後、同県四日市市内の電気店で稼働し、定時制高校に進学したが、昭和三一年一二月、強盗事件を起こして職を失い、高校も退学し、昭和三四年三月窃盗事件により少年院送致となり、昭和三六年四月窃盗罪により執行猶予付の判決を受け、同年八月暴行、恐喝罪により実刑判決を受けて併せて服役し、昭和三八年四月に仮出獄し、間もなく三重県鈴鹿市内に本拠を置く暴力団△△会内K組の組員となったが、その後も、昭和三九年一二月恐喝罪、昭和四〇年四月詐欺、同未遂罪、昭和四三年三月窃盗罪、昭和四五年七月恐喝未遂罪、昭和四八年一二月銃砲刀剣類所持等取締法違反、覚せい剤取締法違反罪、昭和五三年五月覚せい剤取締法違反罪により服役し、昭和五四年三月に出所後、三重県桑名市内に本拠を置く暴力団Y組系△△会内N組の組員となり、内妻の甲川春子とともに四日市市内でスナック、クラブ、麻雀荘を経営するなどし、昭和六〇年ころ、麻雀荘に遊びに来ていた被告人乙山二郎(以下「被告人乙山」という。)と交際するようになり、昭和六一年二月、道路交通法違反罪で執行猶予とされた。昭和六三年七月、経営するスナックの従業員であったフィリピン人Xの間に男児をもうけ、平成元年六月、同女と婚姻し、平成二年初めころ、M組を脱退したが、同年七月、またも覚せい剤取締法違反罪により懲役二年四月に処せられて服役し、その服役中Xが一人で本国に帰ったため、甲川がホテルの雑役婦などをしながら男児を育て、平成四年一一月に出所してから、再び甲川と同棲し、男児と暮らし、建築作業員をしていたが、平成五年末ころ、健康を害して退職し、その後は不動産や古美術の仲介などをするも、十分な収入は得られず、甲川の僅かな収入に頼って生活し、生活費にさえ窮していた。

第二  被告人乙山二郎の身上経歴

被告人乙山は、昭和四三年三月、福岡県北九州市内の高校を卒業し、東京都内のホテル専門学校に入学したが半年くらいで中退し、その後名古屋市、三重県四日市市、北海道帯広市などでキャバレーの店長をし、昭和五八年七月ころ、内縁関係にあった乙木夏子とともに四日市市内に移り住み、以後同市内でキャバレーの店長をするなどしていた。昭和六〇年ころ、被告人甲野が経営していた麻雀荘で遊ぶうち、被告人甲野と交際するようになり、昭和六二年七月ころから、被告人甲野の経営するクラブの店長を務めるなどし、昭和六三年春、乙木夏子と別れた。その後、ゴルフ仲間の紹介により、当時複数の会社を経営していたA(以下「A」ともいう。)と知り合い交際するようになったが、程なくAの経営する会社が多額の負債を抱えて事実上倒産し、平成元年ころ、事業の再興を画するAに誘われて、半導体の電子基盤の製造・販売業や人材派遣業を営む会社の経営に関わるようになり、平成四年三月ころ、Aが新たに設立した会社の取締役に就任したが、結局その経営も行き詰まり、平成五年四月ころ、失職し、以来借財を重ねながら、一人で無為徒食の生活を続けていた。

第三  被告人両名が共犯者らと知り合った経緯

被告人乙山は、平成五年四月ころから無為徒食の生活を送るうち、大金を手に入れて事業を興したいなどと考え、同年一一月ころから、大金を手に入れることを望んでいたA、暴力団員のBやCらと窃盗をしようと企て、愛知県大府市内の運送業者や三重県四日市市内の自動車板金業者の店舗を下見し、同年一二月ころ、Bの知人である元暴力団員のD(昭和二六年一月二六日生、以下「D」ともいう。)とも知り合い、名古屋市千種区内にある金融業者の事務所や岐阜県美濃加茂市内のパチンコ店で窃盗を試みたが、いずれも失敗に終わり、Dから人が足りないのなら誘うように言われたことから、平成六年一月中旬、親分のように振る舞うDに犯行の主導権を握られないよう、元暴力団員の被告人甲野を誘おうと考え、被告人甲野に金儲けの話があると誘い、Dに引き合わせたところ、被告人甲野も窃盗に加わることにした。

(犯行に至る経緯及び罪となるべき事実)

第一  丸玉運送における窃盗事件(以下「丸玉事件」ともいう。)

被告人両名は、平成六年一月中旬、Dから、かつて勤務していた運送会社の事務所の金庫には給料日前には従業員に支払う給料が入っているから、窃取しようと誘われてこれに賛同し、Dと共謀の上、一月二七日午前一時三〇分ころ、愛知県東海市名和町天王前<番地略>の株式会社丸玉運送本社営業所において、被告人甲野が同建物付近で見張りをし、D及び被告人乙山が同建物二階事務所内社長室において、同社代表取締役玉山聖三(当時五五歳)管理にかかる現金約六一四万八五六七円及び一般区域貨物運送事業免許証三通在中の金庫一個(時価三万円相当)を窃取した。

第二  秋松文夫宅における強盗事件(以下「秋松事件」ともいう。)

一  犯行に至る経緯

被告人両名及びAは、平成六年二月下旬、Dから岐阜県美濃加茂市の方で古美術店をやって儲けている者がいるので、そこに強盗に入ろうと誘われ、三月初旬、四人で同県加茂郡川辺町にある秋松肇が経営する古美術店を下見したが、店内には防犯カメラが設置され、現金がどこに保管されているかも分からない状況であったものの、経営者がその両親と住む加茂郡八百津町の自宅金庫には五〇〇〇万円ないし六〇〇〇万円の現金が保管されており、昼間は老女一人になるという情報を得たことから、三月二〇日ころ、経営者が住む自宅の下見をし、経営者らが出掛け、老女が一人残る昼間に自宅を襲うことにし、三月二八日夜、愛知県小牧市内のD宅において犯行方法を打合せ、翌二九日早朝、Dの誘いで加わったCとその配下の氏名不詳の者を交え、犯行方法等について確認をし、午前八時ころ、D宅を出発した。

二  罪となるべき事実

被告人両名は、D、A、C及びその配下の氏名不詳者と共謀の上、秋松文夫宅で金品を強取しようと企て、平成六年三月二九日午前一〇時三〇分ころ、岐阜県加茂郡八百津町上飯田<番地略>の秋松文夫宅付近において、周囲の様子から家人の二人が出掛け、秋松博子(当時七三歳)が一人でいると認め、Aが見張りをし、Dらがスキー帽を被り、マスクを掛け、手袋をはめるなどし、秋松宅玄関先において、Dが「こんにちは。」と声を掛け、玄関先に応対に出た博子の肩をつかみ、大声を出して抵抗する博子を押し倒し、被告人乙山及び氏名不詳の者が博子を後ろ手にして手錠を掛け、D、被告人乙山及び氏名不詳者の三名が博子の顔面や足にガムテープを巻き付けるなどの暴行を加えてその反抗を抑圧し、D、C及び被告人甲野の三名が二階建離れの二階部分にあった秋松肇所有の現金一〇〇万円及び印鑑一個外二四点在中の耐火金庫一台(時価合計一二万円相当)を搬出して強取した。

第三  Dに対する殺人、死体遺棄事件(以下「D事件」ともいう。)

一  犯行に至る経緯

Dは、平成六年一月二七日、第一記載のとおり、株式会社丸玉運送本社営業所において、Dの計画どおり多額の現金等を窃取したことから、親分のように振る舞い、被告人両名及びAに対し、盗みができそうな場所を探すように命じたり、Aを運転手代わりに使ったり、被告人乙山を下見先で怒鳴り散らすなど高圧的な態度を示したため、被告人両名及びAは、次第にDに対して憎悪の念を募らせた。そして、被告人両名は、Dから、同年一月末、岐阜県内の暴力団組長がけん銃で自殺をしたが、そのけん銃は自分が貸したから、警察に逮捕される可能性がある、同年三月初旬には、自分はかつて丸玉運送に勤務しており、内部の事情に詳しい自分が疑われて逮捕されるかもしれないと言われ、逮捕されたら弁護士を付け、保釈金を出してほしい、そうしなければ被告人らのことを警察に話すなどと告げられたことから、Dとこのまま一緒に行動すれば、自分達も逮捕されるか、逮捕されないとしても、一生弱みを握られ、苦渋の日々を送ることになりかねず、Dが再び事業に成功すれば、被告人両名もDから会社の経営を任されるなどして相当な利益を得ることができるが、その利益もDに独り占めされるなどと考えた。

そこで、被告人両名及びAは、いっそDを殺害して縁を切りたいと思うようになり、第二の一記載のとおり、秋松文夫宅に下見に行く際などに思いを打ち明け、平成六年三月下旬、四日市市西町<番地略>のTビル四〇四号室の当時の被告人甲野宅(以下「被告甲野宅」という。)において、被告人乙山が四日市内で盗みをする場所がみつかったと作り話を持ち掛け、口実を設けてDを一人暮らしの四日市市城北町<番地略>のFビル六〇六号室の当時の被告人乙山宅(以下「被告人乙山宅」という。)に連れ込み、睡眠薬入りのコーヒーを飲ませて眠らせて、後頸部をアイスピックで刺すか、首をひもで絞めて殺害し、死体に重しを付けて丸山ダムに遺棄することを話した。被告人乙山は、三月二八日夜、愛知県小牧市内のD宅において、Dに対し、四日市市大谷台には四月四日夜に土地及び建物を売却して大金が入る民家があり、夜には住人が不在なので盗みに入ることができるなどと作り話を持ち掛けたところ、Dがこれを信用したことから、翌二九日昼、第二の二記載のとおり、秋松文夫宅で強盗事件を犯した後、四日市市大谷台にDと出掛け、以前知人が住んでいた民家を盗み先と装って案内した。そして、被告人両名及びAは、Dを殺害することにし、平成六年四月一日ころ、三人で岐阜県加茂郡八百津町内の丸山ダムに行き、死体を遺棄できるか下見し、被告人甲野は、そのころ、被告人乙山に睡眠導入剤(ハルシオン)を渡し、被告人乙山は、四月三日から四日にかけ、犯行に使用するアイスピック、ブロック等を買った。

被告人両名及びAは、四月四日午後五時ころ、四日市市大谷台の民家にDを連れて行き、Dがその周辺を下見して、被告人乙山を除く三名は、いったんTビルの被告人甲野宅に戻り、被告人乙山は、一人でFビルの被告人乙山宅に戻り、缶コーヒーの缶に千枚通しで穴を開け、ここから水に溶かした睡眠導入剤をスポイトで注入し、開けた穴に値札のシールを張り冷蔵庫に入れるなどした。Dは、午後八時ころ、再び民家に下見に行くことにし、Aが運転し、被告人甲野が同乗する自動車で民家に出かけたところ、人がいないはずの民家に電気が点き、犬の鳴き声がしたことから、Dは、人が居住していると不審を抱き、被告人乙山に電話を掛けて尋ね、改めて被告人乙山を含む四人で下見に行くことにした。被告人乙山は、そのころ、被告人甲野から、Dはこの話に不審を持っているので、ひもを持って来るように電話で言われ、約一五〇センチの長さのひも二本を持って出掛けたが、Dが民家の周辺を見回っている際、被告人甲野及びAと、Dを計画どおり被告人乙山宅に連れ込むのは難しいなどと話し、被告人甲野から、自動車に戻ったDの首をひもで絞めてこの場で殺害しようと言われたが、この場では人目に付くなどと反対した。民家の周辺を見てきたDは、被告人乙山に家の中に人がいて電気が点いているなどと疑問を述べ、被告人乙山は、民家には午前一時ころ以降でないと大金は来ないなどと述べて取り繕い、Dらはひとまず被告人甲野宅に戻ることにしたが、被告人乙山は、自宅に帰ることにし、被告人乙山宅で下車したが、被告人甲野も寄って行くことにしたところ、Dも行くと言い出したため、Aとともに室内に入り、居間のこたつを囲んで座った。

二  罪となるべき事実

被告人両名は、Aと共謀の上、

1  D(当時四三歳)を殺害しようと企て、平成六年四月四日午後一一時ころ、三重県四日市市城北町<番地略>のFビル六〇六号室の当時の被告人乙山宅において、Dとあれこれ話すうち、Dから飲み物が欲しいと言われたことから、被告人乙山があらかじめ用意しておいた睡眠導入剤入りの缶コーヒーを出し、Dがこれを飲んで話すうち、次第に眠気を催し、横になって寝入ったことから、翌五日午前零時ころ、被告人乙山がAを便所に行かせた後、用意してあったアイスピックを右手に持ち、上半身を横にして寝ていたDの後頸部を刺したが、目覚めたDが起きて「何すんのや、こら。甲野さん、こいつ俺に何かしたぞ。」と言って被告人乙山につかみ掛かったことから、被告人甲野がDの首に刺さったアイスピックを抜いて左手に持ち、その先を再度Dの首の後ろに当て、右の掌でアイスピックの底を叩くようにして後頸部を刺し、これを両手でこね回して抜いたところ、Dが座り込むようにして膝を折ってうつ伏せに倒れたので、被告人甲野が、被告人乙山に「絞めよ。」と述べ、便所から出て来たAに「手伝え。」と指示し、被告人乙山がDの首にひもを巻き付け、ひもの片方の先をAに手渡し、被告人乙山及びAがひもの両端を持って絞め付け、そのころ、Dを絞頸による頸部圧迫によって窒息死させ、もってDを殺害し、

2  前記のとおり、Dを殺害後、Dの死体を遺棄しようと企て、被告人乙山宅において、被告人両名及びAがDの死体から衣服を脱がせて下着姿にし、Dの顔面にガムテープを巻き付け、硬直して折れ曲がった手足と胴を布製のひもで縛り、全身をタオルケットで包んで更にひもで縛って布団袋に詰め込み、室内に置いた後、四月五日午後九時ころ、Aがレンタカー会社で借りてきた普通乗用自動車にDの死体を乗せ、Aが運転し、被告人両名が同乗して、Fビル付近から岐阜県加茂郡八百津町の丸山ダムまで運搬し、丸山ダム付近で、Dの死体を入れた布団袋に用意していたブロックをひもで縛り付け、翌六日午前一時ころ、同町八百津南戸字旅足の旅足橋中央付近から湖水に投棄して、もってDの死体を遺棄した。

第四  丙村三郎に対する強盗殺人、死体遺棄事件(以下「丙村事件」ともいう。)

一  犯行に至る経緯

被告人乙山は、平成六年三月ころ、以前暴力団△△会内K組に所属していたとき、△△会内M組の組員で、その後骨董品等の取引を通じて付き合いのあった丙村三郎(昭和二〇年一月一三日生)が骨董品等の取引で大金を儲けていたと聞いていたことから、被告人乙山に対し丙村から金品を奪うことを話題にし、立ち消えになったことがあったが、同年八月ころ、丙村に手形の割引を依頼して断られ、同年一〇月ころ、丙村が掛け軸の取引で現物を見ると言いながら、一方的に約束を反故にしたことなどから、丙村に恨みを抱いていた。

被告人両名は、その後も金員に窮する生活を続け、時々顔を合わせては、何か良い金儲け話はないかと話し合っていたが、平成七年三月中旬、被告人甲野は、被告人乙山に対し、丙村が骨董品の売買で多額の利益を得ており、取引には多額の現金を所持して商売している話をし、骨董品取引を装って丙村を誘い出し、丙村を殺害して取引のため準備してきた金品を強取することを持ち掛けたところ、被告人乙山もこれに応じた。そこで、被告人両名は、三重県知事選挙の立候補者の後援者で選挙資金捻出のため骨董品を売りたい人がいるということを口実に、丙村に買付用の多額の現金を準備させて被告人乙山宅に誘い込み、Dを殺害したように殺し、準備してきた現金等を丙村の自動車等を探して奪い、その自動車も証拠が残らないよう処分し、死体は丸山ダムか三重県熊野市方面に遺棄することにした。

被告人甲野は、そのころ、丙村に対し、知事選挙で金を必要としている人がおり、色鍋島や古伊万里を売りたがっている旨電話で伝えると、丙村から早速紹介してほしい旨言われたことから、被告人両名は、三月二三日午後一時ころ、三重県四日市市内のファミリーレストランで話し合い、間もなく選挙も始まるので、やるのなら一週間以内に実行すること、被告人乙山は知事選の立候補者の選挙対策委員の斉藤と名乗り、被告人甲野はその紹介者とすることにし、被告人乙山は、午後四時ころ、四日市市内の喫茶店「髭」で丙村と会い、選挙対策委員の斉藤と名乗って挨拶し、対立候補が近々自分達の陣営に寝返る予定でそのために資金が要る、後援会のある人物が色鍋島や古伊万里を売って資金を作ってほしいと言っている、選挙違反になることなのでその人物の名は明かせない、自分の名刺も渡せないなどと作り話を述べ、その話を信用した丙村に日を改めて連絡すると述べた。

被告人両名は、三月二四日、熊野市方面へ死体を遺棄する場所を探しに行ったが、適当な場所が見つからなかったことから、Dの死体を遺棄した岐阜県加茂郡内の丸山ダムに遺棄することにしたが、被告人乙山は、同日夜Fビルの自宅に戻ったところ、暴力団l島一家の構成員のYから滞納した家賃の支払を迫られ、猶予を求めると顔面等を一〇発くらい殴打され、顔が腫れて、親指を脱臼したため、支払うことを約したが、Yから保証人も要求されたので、YとともにTビルの被告人甲野宅に行き、被告人甲野に依頼して保証人になってもらった。

被告人甲野は、その後、丙村から電話で話を早く進めるように催促され、丙村に連絡するように被告人乙山を急かしたところ、被告人乙山は、顔面の傷が癒えていないので待つように求め、丙村には二、三日中に連絡すると電話で説明したが、被告人甲野は、三月二八日、これ以上待たせるわけにはいかないと感じ、被告人乙山に翌二九日に実行しようと述べ、被告人乙山もこれに同意し、丙村に電話して、二九日午後七時に四日市市内の飲食店「祇園茶寮」の駐車場で待ち合わせることにし、被告人甲野にその旨連絡した。被告人乙山は、被告人甲野の体調がすぐれないと言うので、二八日午後三時三〇分ころ、四日市市内の店舗で、アイスピック、ビニールひも、プラスチックの衣装函、ブロック等を購入し、被告人甲野宅に運んだが、被告人甲野からプラスチックの衣装函では腐らないから駄目だと言われ、翌二九日午後五時三〇分ころ、被告人甲野の指示でレンタカー会社で二トントラックを借りて、被告人甲野宅に行き、被告人甲野とTビルの西側の粗大ゴミ置き場に置いてあったブリキの衣装函を拾い、早く沈むように電気ドリルで穴を開けた。そして、被告人乙山は、被告人甲野に丙村を待ち合わせ場所に迎えに行くよう求めたところ、被告人甲野から自分は顔を出さない方が良いだろうなどと言われたため、立腹し、それ位やるよう求めたところ、被告人甲野は、その役を引き受けたが、丙村は被告人乙山を信用しているから、アイスピックで一気に刺すように言い、被告人乙山は、一応承諾し、道具類をトラックに積み込んで自宅に戻った。そこで、被告人甲野は、午後六時五〇分ころ、自動車で待合せ場所の祇園茶寮に向かい、午後七時ころ、斉藤には来客があるので自分が迎えに来たと説明し、丙村運転の自動車を先導して、午後八時ころ、被告人乙山宅に連れて行き、被告人乙山は、丙村に対し、選挙期間中だけこのビルを借りている、骨董品の売主方に案内する者が来るまで待ってほしいと述べ、室内に迎え入れたが、被告人甲野が用事があると述べて帰ってしまったため、一人では殺害しないことに決め、丙村にはもう少し待つように述べ、二人で室内にいたところ、午後一〇時ころ、被告人甲野から電話で「まだか。」と聞かれたが、「それは無理ですね。じゃあ待ってます。」と答えたため、被告人甲野は、被告人乙山は一人では殺害しないと知り、午後一〇時三〇分ころ、殺害に使用する目的でスパナを隠し持って、被告人乙山宅に行った。

被告人両名は、丙村と居間のこたつを囲んで座り、案内する者が来るのを待つと装いながら話していたが、被告人乙山は、丙村が自宅に遅くなりそうだと電話で連絡するなどしたため、取引の話を口外しているかもしれないし、被告人甲野から聞いていた家庭事情と異なると考え、決行に迷いを生じたが、被告人甲野からこたつの中で足を軽く蹴られたり、丙村からは見えないようにスパナを見せられたり、丙村が便所に行っている隙に、この機会を逃したら二度と大金を持ってくることはない、滞納家賃を支払う金がないのならばやるしかない旨言われ、その後、丙村とともにコンビニエンスストアへ食べ物を買いに行った際、今日取引をするのは無理であろうと述べたが、丙村からあくまで取引先の相手を待つ旨言われ、結局、当夜決行するほかないと思い、自宅に戻ってこたつに入り機会を待つうち、またも被告人甲野に足をつつかれた。

二  罪となるべき事実

被告人両名は、共謀の上、

1  丙村三郎(当時五〇歳)を殺害して金品を強取しようと企て、平成七年三月三〇日午前一時ころ、三重県四日市市城北町<番地略>のFビル六〇六号室の当時の被告人乙山宅において、骨董品を売る者の家に案内する者を待つと装っているうち、午前一時三〇分ころ、丙村が肩が凝ると言い出したことから、被告人乙山がこの機会に殺害しようと企て、アイスピックをズボンのポケットに隠し持ち、「肩でも揉みましょう。」と言って丙村の背後に回り、二、三回肩を揉んだ後、アイスピックを右手に持ち、丙村の後頸部に刺したが、丙村が悲鳴を上げて立ち上がりかけたため、再度アイスピックを刺したが、丙村が「何するのや。」と叫んで立ち上がり、被告人乙山に向かおうとしたため、被告人甲野が腰の後ろに隠していたスパナを持って立ち上がり、丙村の頭部を三回くらい殴打したものの、なおも丙村が「甲野やん、みんな分かっとんのやで。」などと大声で怒鳴ったので、被告人甲野が丙村の身体を壁に押し付け、その頸部を手で強く絞め付けたが、丙村から抵抗されたため、被告人乙山から渡されたビニールひもを丙村の首に巻き付け、力一杯絞め続けたところ、丙村が床に倒れたので、丙村が死亡したものと思い、被告人両名が洗面所で浴びた返り血を洗うなどしていたが、丙村がいびきのような音を発したことから、まだ生きていると思い、被告人甲野がまだ生きているからとどめをさすよう言い、被告人乙山がビニールひもで首を絞めようとしたが、指を負傷しており力が入らなかったことから、被告人甲野と交替し、被告人甲野がビニールひもを引いて丙村の首を絞め、そのころ、丙村を絞頸による頸部圧迫によって窒息死させ、その後、Fビル付近において、丙村が運転してきた普通乗用自動車内を探し、ダッシュボード内に保管されていた丙村の所有又は管理の現金合計約四三〇万円を強取したが、同車のシークレットボックス内に隠してあった一〇〇〇万円を発見することはできなかった。

2  前記のとおり、丙村を殺害後、丙村の死体を遺棄しようと企て、被告人乙山宅において、被告人両名が丙村の死体から衣服を脱がせて下着姿にし、二人で抱えて腰部を折り曲げ、あらかじめ準備していたブリキの衣装函に詰め、タオルシーツを被せ、ひもで衣装函を梱包し、これを被告人乙山宅のある前記Fビル西側駐車場に駐車してあった二トントラックに積み込み、三月三〇日午前三時三〇分ころ、被告人乙山が運転し被告人甲野が同乗して、Fビル付近から岐阜県加茂郡八百津町の丸山ダムまで運搬し、午前七時ころ、同町八百津南戸字旅足の旅足橋中央付近において、トラックを橋の欄干に寄せ、荷台の側板を倒し、用意していたブロックをひもで衣装函に縛り付け、衣装函を荷台から湖水に投棄して、もって丙村の死体を遺棄した。

(証拠の標目)<省略>

(事実認定の補足説明、被告人乙山について自首を認めなかった理由)

一  Dに対する殺人、死体遺棄事件及び丙村三郎に対する強盗殺人、死体遺棄事件について、被告人甲野の弁護人は、被告人乙山が主導者であり、被告人甲野はこれに追随した旨主張し、被告人乙山の弁護人は、被告人甲野が主導者であり、被告人乙山はこれに追随した旨主張し、その前提となる個別の事情についてそれぞれ異なる主張をしているが、当裁判所は、量刑の理由の項で触れるとおり、被告人甲野は、D事件では被告人乙山らに別の場所でも殺害を持ち掛け、積極的に殺害行為に及び、丙村事件では主導的に強盗殺人行為に及んだと認めたが、個別の事情については判示のとおり認定したので、以下その理由を補足説明する。

1  Dに対する殺人、死体遺棄事件について

(一) 被告人甲野の弁護人は、被告人甲野は、ひもでDの首を絞めて殺害する予定であり、被告人乙山がアイスピックで後頸部を刺すことは知らなかった旨主張する。しかし、事前の計画に深く関与しなかったAは、この点について触れていないが、被告人乙山の判示認定に沿う供述に不自然な点はない。被告人甲野は、捜査段階では、Dはよく缶コーヒーを飲むから、睡眠薬を入れた缶コーヒーを飲ませて眠らせ、眠ったDの後頸部をアイスピックで刺して殺すなどとの相談がまとまった旨供述していたのに、公判では、右主張に沿う供述をしたが、公判に至って右のような供述をした理由も不明であり、右主張に沿う公判供述部分は、信用することができない。

(二) また、被告人甲野の弁護人は、被告人甲野は、気の弱いAにはDを殺害するところを見せない方がよいと考え、Aに便所に入るように言った旨主張する。しかし、証人Aは、公判において便所に入るように言ったのは被告人乙山であると供述し、その信用性に特段疑問を差し挟む余地はなく、この点に関する被告人乙山の供述を裏付けている。他方、被告人甲野は、捜査段階から自分が指示した旨供述し、公判では更に被告人乙山はDが寝る布団を敷いたり、枕を持ってきて世話を焼き出したから、そのようにAに言う余裕はなかったはずであるなどとも供述するが、被告人乙山が布団を敷いたとすること自体、Aの供述及び被告人乙山の供述と一致しないから、右主張に沿う供述部分は信用することができない。

(三) さらに、被告人甲野の弁護人は、被告人甲野は、アイスピックで刺されてうつ伏せに倒れたDの首を被告人乙山及びAに絞めるように言ったことはないし、被告人乙山及びAがDの首を絞めている途中、「もういい。」などと言って止めさせたこともなく、絞頸には関与していない旨主張する。しかし、証人Aは、便所から出てみると、被告人乙山がDの首にひもを巻き付けて力一杯絞めており、被告人乙山から手伝えと言われ、被告人乙山と首を絞め、どちらともなく首を絞めるのを止めた旨供述している。絞頸を指示した者の部分について、Aは、被告人乙山らの犯行を見て緊張し、実際に首を絞めて興奮したとしても、最初の段階の出来事である絞頸を指示した者について混同する疑いはないから、右指示者の供述部分の信用性に疑問はなく、被告人乙山のこの点に関する供述を裏付けている。一方、絞頸を止めた経緯部分については、Aは、Dの首を絞めた後、絶命したDの身体を足蹴にしているのに、その記憶も乏しいことからすれば、その間の記憶は判然としていないといわざるを得ないから、右経緯の供述部分は信用できない。被告人乙山は、被告人甲野の指示でAと二人でDの首を絞めていると、被告人甲野が我々が絞めるのをじっと見ていて、もうええやろうというような感じで言った、そして、被告人甲野は、こたつから出て、Dの首の脈を見るなどした旨供述しているが、その供述に不自然、不合理な点はなく、十分信用することができる。他方、被告人甲野は、右主張のような供述をしているが、公判では便所にいるAに対し、首を絞めている被告人乙山が手が痛いと言っているから、手伝えというような指示をしたとも供述しており、被告人乙山の右供述と対比し、右主張に沿う供述部分は、信用することができない。

2  丙村三郎に対する強盗殺人、死体遺棄事件について

(一) 被告人甲野の弁護人は、平成七年三月中旬、丙村を殺害して金品を強取することを持ち掛けたのは、被告人乙山であった旨主張する。しかし、被告人両名の当公判廷における供述及び各供述調書等関係各証拠によれば、被告人甲野は、暴力団△△会内K組員当時、△△会内M組員の丙村を知り、その後も骨董品等の取引を通じて付き合いがあり、丙村の最近の商売のやり方も承知し、判示の経過で丙村に対し恨みを抱いていたこと、被告人乙山は、これまで丙村とは面識もなく、その商売のやり方も知らず、平成六年三月には被告人甲野から、丙村から金品を強取する話を持ち掛けられたが、断ったことが認められる。そして、この点に関する被告人乙山の供述には、不自然、不合理な点はなく、右認定の経緯と整合しており、その信用性に疑問はない。他方、被告人甲野は、どちらが丙村を殺害して金品を奪おうと言い出したかはっきりしない旨公判で供述するなど、その供述には曖昧な点があり、右認定の経緯とも整合しないから、信用することができない。

(二) また、被告人甲野の弁護人は、被告人甲野は、被告人乙山に対し、こたつの中でその足を意図的に蹴ったことはない、スパナを見せたが丙村の殺害を促すつもりはなかった、丙村が便所に立った際にこの機会を逃したら二度と大金を持ってこないなどとも述べておらず、決行を促したことはない旨主張する。しかし、被告人乙山は、判示認定に沿う供述をしているところ、その内容は具体的であり、被告人甲野が被告人乙山宅に丙村を連れて来て帰ってしまった後、一人では実行しないことにし、被告人甲野が再び来た後も、容易に実行せず、むしろ丙村に当夜の取引が困難である旨述べた言動と整合しているから、十分信用することができる。他方、被告人甲野は、右主張に沿うような供述をするが、一方では被告人乙山に持参したスパナを見せたことや滞納家賃を支払う目途が立たないのならやるしかない旨述べたことは認めている上、犯行当夜、被告人乙山に殺害行為を委ね、丙村を案内した後帰ってしまったが、被告人乙山に電話してまだ実行していないことを知り、自宅からスパナを持ち出して被告人乙山宅に赴き、被告人乙山にスパナを見せるなどして加勢する態度を示した経緯とも整合しないから、右供述部分は、信用することができない。

(三) さらに、被告人甲野の弁護人は、被告人甲野は、丙村をスパナで殴打し、手で首を絞めた後に、被告人乙山と二人でビニールひもの両端を持ち合い、双方が引っ張って首を絞めた旨主張し、検察官も同旨の主張をする。しかし、被告人乙山は、ドーナッツ状になっているビニールひもを被告人甲野に渡したら、被告人甲野が丙村の首に二回巻いて絞めた、丙村が死亡したと思い、洗面所で手を洗っていると、丙村がいびきをかいたため、被告人甲野から絞めよと言われて首のひもを引いたが、痛みが走ったので代わってくれと言ったなどと供述するが、右供述は、具体的であり、三月二四日夜未払家賃の件でYから殴られて指を負傷した経緯とも整合し、十分信用することができる。他方、被告人甲野は、右主張に沿う供述をしているが、被告人甲野が立っている丙村を手で絞め付けながら、指を負傷している被告人乙山と二人で激しく抵抗している丙村の首にひもを回し、ひもを引っ張って絞めることができるか疑問な点もあり、右供述部分は、信用することができない。

(四) なお、強取した現金等の分配について、関係各証拠によれば、被告人両名が現金約四三〇万円を強奪し、そのうち少なくとも一六〇万円ずつを分配したことは明らかであるが、その余約一一〇万円をいずれが取得したかについては、これを確定することはできない。

二  被告人乙山の弁護人は、丙村三郎に対する強盗殺人、死体遺棄について、被告人乙山は、警察から嫌疑をもって追及される以前に自供したから、自首が成立する、丸玉運送における窃盗、秋松文夫宅における強盗、Dに対する殺人、死体遺棄についても被告人乙山は、警察に被告人乙山の関与が発覚する前に自供したから、自首が成立する、と主張するが、当裁判所は、被告人乙山に対しいずれも自首を認めなかったので、その理由を説明する。

1  被告人乙山の公判供述、被告人乙山の各供述調書、司法警察員作成の捜査報告書(甲八〇)等関係各証拠によれば、被告人乙山の逮捕及び自供経過等について、以下の事実が認められる。

(一) 三重県四日市北警察署は、平成七年三月三〇日、丙村の妻秋子から丙村の捜索願を受け、その後被告人甲野を重要容疑者として連日のように任意出頭を求めて取り調べたが、被告人甲野は、犯行を否認し、四月三日ころ、自宅から逃走した。

(二) 四日市北警察署及び三重県警察本部(以下「警察」という。)は、四月二日、喫茶店「髭」の店員である星野香織から事情を聴取し、三月二三日に丙村、被告人甲野及びもう一人眼鏡をかけた男性が髭に来たことを突き止め、遅くとも四月一二日には、右男性が被告人乙山であることを把握し、四月一二日、レンタカー会社の事務員から、三月二九日に二トントラックを被告人乙山に貸し出したという情報を入手し、四月一三日、死体遺棄被疑事件で右トラックの実況見分を行った。

(三) 福井県警察は、四月六日、福井県内の北陸自動車道上において丙村の自動車を発見し、それに乗車していた小山昇に対して事情聴取したが、警察は、同車を譲り渡した者らから順次事情を聴取し、遅くとも四月一七日には、被告人乙山が三月三一日ころ濱口正志に譲渡したことを知った。

(四) 警察は、四月一四日、被告人乙山に任意同行を求めて取り調べ、翌一五日、丙村に対する犯行や死体を遺棄した場所の供述を得たため、翌一六日、被告人乙山を死体遺棄被疑事件で逮捕し、丸山ダムの捜索を行い、四月一九日、丙村の死体を発見し、翌二〇日、強盗殺人被疑事件で被告人乙山を逮捕し、勾留された被告人乙山を取り調べ、検察官は、五月一一日、強盗殺人、死体遺棄被告事件で起訴した。

(五) 警察は、五月一四日、逃亡を続けていた被告人甲野を強盗殺人、死体遺棄被疑事件で逮捕し、丙村事件について取調べをした。他方、警察は、五月一九日当時、暴力団組員である森田和則から、被告人乙山及び被告人甲野の両名が「被告人甲野が飼っている黒い犬の持ち主を殺した」と言っていた旨の情報を得ていたが、被疑事実を確定するに至らなかった。

(六) 警察官及び検察官は、被告人甲野を引き続き丙村事件について取り調べ、警察官は、五月三一日、被告人甲野の供述内容に照らし、改めて被告人乙山を取り調べ、検察官は、六月二日、被告人甲野を強盗殺人、死体遺棄被告事件で起訴した。

(七) 警察官は、六月六日、森田和則の右情報に基づき、被告人両名を追及したところ、いずれもDの殺害などを自供し、その犯行経緯を説明する過程で、丸玉運送における窃盗事件、秋松文夫宅における強盗事件も供述した。警察官及び検察官は、被告人両名を取り調べ、検察官は、七月三日、秋松文夫宅における強盗事件、九月五日、Dに対する殺人、死体遺棄事件、九月二二日、丸玉運送における窃盗事件を起訴した。

2  右認定事実を前提に判断する。まず、丙村事件については、警察は、髭の店員やレンタカー会社の事務員及び丙村の自動車を譲り受けた者等の事情聴取の結果を受け、被告人乙山に対し、強盗殺人、死体遺棄などの犯罪について相当な嫌疑をもって迫及し、その結果、被告人乙山は、死体遺棄の概要や強盗殺人の概要を明らかにしたものであるから、被告人乙山には同事件の自首の成立を認めることはできない。

次に、その他の事件について、捜査官が捜査対象となっている事件及び関連する事件について取調べをする際、被疑者が捜査対象及び関連事件以外の被疑事実について自ら進んで犯行を供述した場合には自首が成立するが、被疑者が捜査対象及び関連事件について供述しても自首が成立しないというべきである。警察官らは、逮捕勾留中の被告人乙山を丙村事件について取り調べ、検察官が五月一一日起訴したが、五月一四日被告人甲野を丙村事件で逮捕勾留して取り調べるうち、被告人両名に対するD事件の容疑の情報を入手したが、被告人甲野を丙村事件について引き続き取り調べ、五月三一日改めて被告人乙山を同事件で取り調べ、六月二日被告人甲野が起訴され、丙村事件の捜査が終了した後、六月六日に至り、既に得ていた情報の容疑について被告人両名を追及したところ、被告人乙山は、Dに対する殺人、死体遺棄事件、関連する秋松文夫宅における強盗事件、丸玉運送における窃盗事件を供述するに至ったから、被告人乙山が捜査対象及び関連する事件以外の被疑事実を自ら進んで供述して自首したとはいえない。

ところで、被告人乙山は、逮捕された日か翌日には二年前に悪魔に魂を売り渡したとか、取調べ中に丙村事件の外に一件あると述べ、六月六日以前にDに対する殺人、死体遺棄の事実を漏らしていた旨公判で供述する。しかし、被告人乙山は、捜査段階ではD事件に加担したAやその家族のことを考え、D事件に供述するのを迷い、自供しなかった旨述べ、公判でも丙村事件の取調べ中、外に一件あると供述した旨述べるにとどまり、Dを殺害して丸山ダムに捨てたなどと具体的な供述をしていないのであるから、右のような供述をもって、D事件を供述して自首したとはいえないし、警察官からD事件の取調べを受けた際、犯行に至る経過を説明する中で秋松事件や丸玉事件について供述したのであるから、右各事件についても自首したとはいえない。

以上によれば、被告人乙山に自首を認めることはできない。

(被告人甲野の累犯前科)

被告人甲野は、平成二年七月二三日津地方裁判所四日市支部で覚せい剤取締法違反罪により懲役二年四月に処せられ、平成四年一一月二六日右刑の執行を受け終わったものであって、右事実は検察事務官作成の前科調書(乙三九)及び裁判官作成の判決書謄本(乙五三)によりこれを認める。

(法令の適用)

被告人甲野の判示第一の窃盗の所為は、平成七年法律第九一号による改正前の刑法六〇条、二三五条に、判示第二の二の強盗の所為は、同法六〇条、二三六条一項に、判示第三の二の1の殺人の所為は、同法六〇条、一九九条に、判示第三の二の2及び判示第四の二の2の死体遺棄の各所為は、同法六〇条、一九〇条に、判示第四の二の1の強盗殺人の所為は、同法六〇条、二四〇条後段にそれぞれ該当するところ、判示第三の二の1の殺人の罪について所定刑中有期懲役刑を、判示第四の二の1の強盗殺人の罪について所定刑中死刑をそれぞれ選択し、窃盗、強盗、殺人、死体遺棄の罪については、前記累犯前科があるので、同法五六条一項、五七条によりいずれも再犯の加重をし(ただし、強盗及び殺人については同法一四条の制限内で)、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、被告人甲野を判示第四の二の1の強盗殺人の罪により死刑に処するから、同法四六条一項本文により他の刑を科さないこととし、訴訟費用(第一次地方裁判所、控訴審、当裁判所の分)は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人甲野に負担させないこととする。

被告人乙山の判示第一の窃盗の所為は、平成七年法律第九一号による改正前の刑法六〇条、二三五条に、判示第二の二の強盗の所為は、同法六〇条、二三六条一項に、判示第三の二の1の殺人の所為は、同法六〇条、一九九条に、判示第三の二の2及び判示第四の二の2の死体遺棄の各所為は、同法六〇条、一九〇条に、判示第四の二の1の強盗殺人の所為は、同法六〇条、二四〇条後段にそれぞれ該当するところ、判示第三の二の1の殺人の罪について所定刑中有期懲役刑を、判示第四の二の1の強盗殺人の罪について所定刑中無期懲役刑をそれぞれ選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、被告人乙山を判示第四の二の1の強盗殺人の罪により無期懲役に処するから、同法四六条二項本文により他の刑を科さないこととし、訴訟費用(第一次地方裁判所、当裁判所の分)は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人乙山に負担させないこととする。

(量刑の理由)

一  本件は、事業に失敗するなどして無為徒食の生活を送っていた被告人乙山が、以前共同で事業を営んでいたAから紹介されたDと窃盗をすることを企て、金に困っていた被告人甲野を誘い、共謀の上、Dがかつて勤務した丸玉運送の本社営業所に深夜忍び込んで現金約六一四万八五六七円等在中の金庫を窃取した事案(判示第一の丸玉事件)、被告人両名、D、Aらが共謀の上、古美術店を営む秋松肇の自宅において金品を強取することを企て、家人の老女が一人になったのを見計らって、自宅に押し入り、老女の手に手錠を掛け、その顔面や足にガムテープを巻き付けるなどの暴行を加えてその反抗を抑圧し、現金一〇〇万円等在中の耐火金庫を強取した事案(判示第二の秋松事件)、Dが被告人両名及びAに対して高圧的な態度を取り、自己が警察に逮捕された際、弁護士を付け保釈金を出さないときには被告人らのことを警察に話すと言ったことなどから、いっそDを殺害しようと思うようになった被告人両名及びAが共謀の上、Dに四日市市内の民家で大金を窃取できるという作り話を持ち掛け、被告人乙山宅で睡眠導入剤(以下「睡眠薬」という。)入りのコーヒーを飲ませて眠らせた上、殺意をもって、被告人乙山がアイスピックでDの後頸部を刺し、被告人甲野が再度アイスピックで刺してこね回し、被告人乙山とAが倒れたDの首をひもで絞めるなどして殺害し、Dの死体に重しを付けて丸山ダムに投棄して遺棄した事案(判示第三のD事件)、その約一年後、被告人甲野が骨董品の取引などで大金を儲けていた丙村三郎を殺害して金品を強取することを被告人乙山に持ち掛け、これに応じた被告人乙山と共謀の上、丙村に三重県知事選挙の選挙資金捻出のため骨董品を売りたい人がいるという作り話を持ち掛けて多額の現金を準備させて呼び出し、被告人乙山宅に誘い込み、殺意をもって、被告人乙山がアイスピックで丙村の後頸部を刺し、被告人甲野がスパナで頭部を殴打し、更にビニールひもで首を絞めるなどして殺害し、丙村の自動車内を探し、保管されていた現金合計約四三〇万円を強取し、丙村の死体に重しを付けて丸山ダムに投棄して遺棄した事案(判示第四の丙村事件)である。

二 丸玉事件は、以前Dが勤務していた運送会社において、その給料日の前夜には本社営業所に大金が金庫に保管されているのを狙い、深夜営業所に忍び込んで金庫ごと窃取したもので、計画的で悪質な犯行であり、窃取した金員も多額であり、会社代表者の処罰感情も厳しい。被告人両名は、判示の重要な行為を分担し、分け前としてD同様それぞれ一五〇万円を受け取ったのに、被害弁償をしていない。

秋松事件は、Dの地元で古美術店を営み高額の現金を保管していると認めた者の自宅を狙い、下見を重ねた上、男性らが外出し、老女一人になったのを見計らい、見張りを置き、顔を隠すなどして、白昼犯した大胆かつ計画的な犯行であり、老女に手錠を掛け、顔面、両足にガムテープを巻き付けるなど、その反抗抑圧態様も著しく悪質であり、老女は失神するなど、その肉体的精神的苦痛も大きく、古美術商や老女の処罰感情も厳しい。被告人両名は、判示の重要な行為をし、Dが取った五〇万円の残りから、Aと同様それぞれ一〇万円を受け取ったのに、被害弁償をしていない。

D事件は、被告人両名及びAがDの殺害を企て、あらかじめアイスピック、ひもなどの殺害道具や死体を沈めるためのブロックなどを準備し、架空の窃盗先の話を基にDを呼び出し、最終的に計画どおり被告人乙山宅に連れ込み、睡眠薬入りの缶コーヒーを飲ませ、確定的殺意の下で殺害したもので、計画的犯行である。犯行態様もアイスピックでDの後頸部を二度にわたって刺し、ひもで首を絞めて殺害し、完全犯罪を企図して、衣服などを脱がし、Dの死体をひもで縛り布団袋に詰め、ブロックをひもでくくりつけて丸山ダムに投棄し、Dの内妻には当分帰ってこない旨述べ、約一年間は犯行が露見しなかったものであり、その犯行態様は極めて執拗、残虐かつ冷酷であり、徹底した証拠隠滅も伴っている。四三歳という働き盛りの年齢で、突然アイスピックで刺され、ひもで首を絞められるなどして殺害されたDの無念さは察するに余りあり、ブロックをくくりつけられて丸山ダムに投棄された姿は無惨であり、遺族の被害感情も厳しく、社会に与えた影響も大きいのに、被告人両名は慰謝の措置もしていない。なお、Dは、丸玉事件や秋松事件では犯行グループの主導者として行動し、被告人らに高圧的な態度を取り、Aや被告人乙山らに不手際があると罵ったり、自分が逮捕された際には弁護士や保釈金の世話をしないと被告人らのことを警察に話すなどと述べているが、被告人両名とすれば、窃盗や強盗に長けたDに中心的役割を担わせ、一緒に悪事を重ねて利益を得たものであり、Dの言動に行き過ぎた点があるからといって、Dを殺害することを合理化する理由にはなり得ず、Dには被告人らに殺害されるほどの落ち度があるとまではいえない。

丙村事件は、被告人甲野が骨董品の取引などで付き合いのあった丙村を殺害して金品を強取することを企図し、これに賛同した被告人乙山と二人で選挙資金捻出のために骨董品を売りたい人がいると偽って丙村に現金を準備させて呼び出す一方、右資金の使途が非合法なものであることを理由に口止めを図るなどし、あらかじめアイスピック、ひもなどを準備して被告人乙山宅に誘い込み、丙村を殺害して現金を強取しようとしたものであり、大金目当てに犯した犯行経緯に酌むべき点はなく、犯行計画も極めて周到になされている。犯行態様は、確定的殺意の下、アイスピックで丙村の後頸部を刺し、スパナでその頭部を数回殴打し、ひもで首を絞めて殺害し、衣服などを脱がしその死体を衣装函に梱包し、ブロックを結び付けて丸山ダムに投棄しており、極めて執拗、残虐かつ冷酷であり、相当な証拠隠滅も伴っている。被告人両名の凶行により、五〇歳で突然一命を奪われた丙村の無念の心情は察するに余りある上、水中に投棄された姿も無惨であり、強取された金額も多額である。丙村が行方不明になった翌日に警察に捜索願を出し、その安否を気遣って心を痛め、約二〇日後に発見された死体と面会した丙村の妻はじめ遺族の悲嘆、衝撃は極めて大きいし、遺族のその後の経済的精神的苦痛も大きく、本件後約四年が経過した現在でも、被告人両名に対する処罰感情には峻厳なものがあり、本件が社会に与えた影響も大きい。被告人両名は、強取した現金からいずれも一六〇万円は取っているが、被害弁償等の慰謝の措置を講じていない。

これらによれば、各事件に関与した被告人両名の刑事責任は、いずれも著しく重大である。

三 次に被告人甲野の個別的事情に即して、その刑事責任をみる。

被告人甲野は、生活に窮し、被告人乙山に誘われてDらとともに丸玉事件を犯し、これに味をしめて秋松事件を犯しており、その犯行に至る経緯及び動機に酌量の余地はない。丸玉事件では、本社営業所の外で見張りをし、Dが指示した役割を果たし、被告人乙山と同額の分け前を受け取り、秋松事件では、下見に同行するなど計画段階から積極的に関与し、Dの指示に従い秋松宅の外で見張りをし、途中から秋松宅に入り、金庫を運び出すのを手伝うなどし、被告人乙山と同額の分け前を得ている。両事件は、いずれもDが主導者ではあるが、被告人乙山と対比すれば、その刑事責任は同等である。

D事件では、被告人甲野は、被告人乙山やAのDに対する思いを承知していたとはいえ、Dが二〇歳近くも年下で、暴力団歴も相当少ないのに、被告人乙山らに対するのと同様に高圧的な態度を示され、Dに相当強い憎悪の念を抱き、Dが逮捕されれば自分達も逮捕されると懸念し、秋松事件では暴行を受けた老女が受傷したと考え、強盗致傷という重罪を犯してしまい、今後Dと行動をともにすれば更に悪質な犯罪を重ねると感じ、Dを殺害する必要があると認めたものであって、積極的に提案する被告人乙山に追従したとか、被告人乙山がDを殺害したいのであれば一緒に殺害しようとしたとか、Aに同情して犯したとはいえず、犯行に至る経緯及び動機に酌量の余地は乏しい。被告人甲野は、Aと丸山ダムに下見に行くなどし、犯行に消極的であったAを被告人乙山とともに納得させ、知人から入手した睡眠薬を被告人乙山に渡し、犯行直前の四日市市大谷台の民家での下見の際には、被告人乙山宅に誘い込むのは困難として、被告人乙山にひもを持って来るよう指示し、自動車内で首を絞めて殺そうなどと持ち掛け、被告人乙山宅では被告人乙山がアイスピックで刺しても致命傷を与えていないとみて、後頸部にアイスピックを刺してこね回し、被告人乙山及び便所から出て来たAに対し、床に倒れたDの首を絞めるよう指示している。以上によれば、被告人甲野は、被告人乙山らと犯行の準備をし、計画どおり行かないとみるや、別の場所でも被告人乙山らに殺害を持ち掛け、被告人乙山宅に連れ込むことができるや、被告人乙山が第一撃を加えた後ではあるが、自ら強力な殺害行為をし、殺害行為を分担するのに消極的なAにも手伝わせるなどして、積極的に殺害行為をしたと認められるから、その犯情はAはもとより被告人乙山より悪質である。

丙村事件では、被告人甲野は、D殺害後も内妻の収入で生活するなど金銭に窮し、被告人乙山と何か金になる話はないかなどと話し合っていた際、丙村が骨董品の商売により多額の利益を得ており、手許には多額の現金を保管しているとの情報を得ていたことから、金品強取の対象として適当であると考え、被告人乙山に対し丙村を殺害して金品を強取する話を持ち掛けて犯したものであり、犯行経緯に酌むべき点はない。ところで、被告人甲野は、過去に丙村から掛け軸の売買や手形割引で苦汁をなめさせられたと考え、丙村に恨みを抱いていたこともあって、強盗殺人の標的にしたものであるが、被告人甲野が恨みに思う点が直ちに被害者の落ち度として評価し得るものではないから、犯行を決意した背景に特に有利な点があるとはいえない。被告人甲野は、被告人乙山と丙村を誘い出す口実を考え、丙村に骨董品取引を持ち掛け、丙村が乗ってくる自動車の処分を知人に依頼し、顔が腫れて丙村に会えないという被告人乙山に連絡を急かしたり、被告人乙山に凶器や死体を運搬する自動車の準備をさせ、買い求めてきたプラスチックの衣装函に代え、腐食が進むブリキの衣装函にさせ、丙村をアイスピックで一気に刺すように述べ、犯行当夜には、被告人乙山宅に丙村を連れ込んだ後、殺害の実行を被告人乙山に委ねて自宅に帰ってしまい、電話を掛けて被告人乙山が一人では実行しないと知るや、スパナを持って被告人乙山宅に行き、実行をためらう被告人乙山に再三にわたって決行を促し、丙村が肩が凝ると言い出した機会に、ついに被告人乙山がアイスピックで刺した後、スパナでその頭部を殴打し、ひもでその首を絞めるなど、強力な殺害行為をしている。以上によれば、被告人甲野は、被告人乙山に犯行の準備をさせ、殺害行為をためらう被告人乙山に決行を促して実行させながら、自らも強力な殺害行為をして、主導的に強盗殺人行為に及んだと認められるから、その犯情は極めて悪質である。

また、被告人甲野は、少年時代から刑事事件を犯し、累犯前科を含む多数の前科を重ね、相当期間暴力団に加入し、正業に就いても長続きせず、平成四年一一月に出所した後、更生の機会はあったのに、約一年二か月後に丸玉事件の窃盗に加担し、次いで秋松事件の強盗を犯し、ついにD事件の殺人、死体遺棄を積極的に犯し、その約一年後には丙村事件の強盗殺人、死体遺棄という大罪を主導的に犯したものであり、その犯罪傾向は顕著で、反規範的な人格態度は明らかであり、その矯正は著しく困難であるといわざるを得ない。

他方、丸玉事件及び秋松事件では、Dが主導的な立場にあり、被告人甲野の関与は従属的であったこと、D事件では、Dの高圧的な態度がD殺害を誘発したという側面もあること、逮捕された後一連の犯行を認め、反省の態度を示し、被害者らの冥福を祈り供養していること、平成五年末ころ脳梗塞を患い、現在では相当な年齢に達し、一〇歳になる子供もいることなどの事情もある。しかしながら、死刑が最も冷厳な極刑であり、究極の刑罰であり、その適用においては極力慎重でなければならないことを考慮し、その他記録上表われた被告人甲野に有利な全事情を最大限斟酌しても、丸玉事件の窃盗、秋松事件の強盗、D事件の殺人、死体遺棄、丙村事件の強盗殺人、死体遺棄を犯した被告人甲野の刑事責任は誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、極刑を選択するのがやむを得ないと認められる。

四 被告人乙山の個別的事情に即して、その刑事責任をみる。

被告人乙山は、無為徒食の生活を送り、金に困った結果、D及び被告人甲野とともに丸玉事件を犯し、次いで秋松事件を犯したもので、その犯行に至る経緯及び動機に酌量の余地はない。丸玉事件では、Dに続いて本社営業所に入って窃取行為をし、秋松事件では、留守番の老女に手錠を掛けるなど、重要な役割をそれぞれ担い、いずれも被告人甲野と同様の分け前を受け取っている。

D事件では、Dと窃盗の下見や窃盗を犯すうち、Dに対する反感を抱き、被告人甲野、Aの面前でDに対する怒りをあらわにし、これを契機にD殺害の話を進展させた側面もある。秋松事件を企んでいる段階で、Dに作り話を持ち掛けて信用させながら、Aと丸山ダムに下見に行くなどし、犯行に消極的なAを被告人甲野とともに納得させ、アイスピックなど犯行道具を買ったり、睡眠薬入りの缶コーヒーを作るなど犯行の準備をし、犯行当夜も、睡眠薬入りの缶コーヒーを飲ませ、眠気を催したDに対しちゅうちょなくアイスピックを後頸部に刺し、被告人甲野が再度アイスピックで刺した後、Aとともに床に倒れたDの首をひもで絞めるなど、重要な実行行為をしており、その刑事責任は重い。そして、被告人乙山は、丸玉事件、秋松事件、次いでD事件と、約三か月の短期間に三件もの犯罪を重ね、しかもその内容が窃盗、強盗、殺人と凶悪化しており、犯罪傾向が悪化している。

丙村事件では、被告人乙山は、D事件後も無為徒食の生活を続け、家賃を長期間滞納するほど金に困り、被告人甲野と金儲け話をするうち、被告人甲野から丙村に関する説明を聞き、骨董品の取引を装った強盗殺人を持ち掛けられ、多額の金品を得るため犯行に及んだもので、犯行経緯に酌量の余地はない。三重県知事選挙に絡めて高額の骨董品取引を装い、多額の現金を準備させる話を発案し、選挙対策委員になりすまし、極めて巧妙に話をして丙村を信用させるなど、面識のある被告人甲野では果たすことのできない重要な役割をし、犯行に必要なアイスピック、ブロック等や死体を運搬するためのトラックを準備し、犯行当夜も、丙村の隙を狙ってアイスピックを刺すなど、強盗殺人という大罪の重要な実行行為をしている。そして、犯罪傾向が悪化した被告人乙山は、ついに強盗殺人という大罪まで犯しており、犯罪傾向も深化したといわざるを得ない。以上によれば、被告人乙山に対して死刑を求刑する検察官の意見にも相応の理由がある。

しかし、更に仔細にみると、丸玉事件及び秋松事件では、Dが主導者であり、被告人甲野と同等の責任である。D事件では、Dの高圧的態度が犯行を誘発したという側面があるし、被告人乙山は、被告人甲野らと計画を立て、Dに巧妙な作り話をし、犯行準備をしてアイスピックで刺す行為をしているが、殺害行為に積極的ではないAや、一〇歳も年上で暴力団員歴もある被告人甲野にこれらを要請することには困難な面もある。四日市市大谷台の民家付近では、被告人甲野が予定どおり被告人乙山宅に誘い込むことは困難と考え、この場で絞殺しようとしたとき、発覚しやすかったためとはいえ、その場での犯行を止めさせ、被告人乙山宅では睡眠薬入り缶コーヒーを飲んで横になったDの後頸部にアイスピックを刺したが、致命傷を与えるには至っていないし、被告人甲野が再びアイスピックで刺してこね回した後、被告人甲野の指示でAとともに倒れたDの首をひもで絞めて絞殺している。これらによれば、被告人乙山は、被告人甲野に追随したとはいえないが、被告人甲野ほど殺害に積極的ではなかったと認められる。丙村事件では、被告人乙山は、被告人甲野から骨董品を商う丙村の話を聞き、被告人甲野の説明を信用して犯行に加担することにしたもので、積極的に犯行を提案したとはいえない。犯行を決意した後、被告人甲野の指示に従い犯行道具や死体を運搬するトラックを準備し、アイスピックで第一撃を加えているが、前記のとおり、被告人甲野に犯行準備や最初の殺害行為を要請することには困難な面がある。犯行当夜、被告人甲野が丙村を連れて来た後帰ってしまうや、一人では実行しないことにし、被告人甲野から電話があった際来るように求め、再び来た被告人甲野がスパナを見せるなど加勢する態度を明らかにした後も、被告人甲野の説明と異なり、丙村が携帯電話で妻に連絡するなどの一面を知り、実行をためらい、一時は丙村に取引を行うのは無理である旨告げて暗に取引を断念させようともしている。そして、丙村が肩が凝ると言い出した機会に、アイスピックで第一撃を加えたが、致命傷を与えるには至らず、被告人甲野がスパナで顔面を殴打し、首をひもで絞めるなどして絞殺したものである。以上からすれば、被告人乙山は、被告人甲野と比較すれば、犯行に積極的ではなく、主導的な被告人甲野の指示を受けて行動した面がある。これらは量刑上被告人乙山に有利に斟酌すべきである。

また、被告人乙山は、中学高校時代までは問題なく過ごし、高校卒業後、不安定ながらも大過なく社会生活を送り、もとより前科はない。D事件では、被告人甲野が四日市市大谷台の民家付近でDの首を絞めて殺害しようとしたのに、その場での犯行を止めさせ、丙村事件では、一人では実行しなかったし、被告人甲野が来た後でも、実行をためらっており、人間的な心情が残されている。そして、被告人乙山は、警察が丙村事件の捜査に着手し、被告人甲野が逃走したと知った後も、逃走することなく、警察の呼出しに応じ、自首は成立しないものの、早期の段階で犯行を認め、いったん自供した後は細部にわたり詳細な供述をし、一連の事件の全容を明らかにし、現在では被害者及び遺族に対する謝罪を表明している。これらによれば、被告人乙山には、矯正可能性がないとはいえない。被告人乙山の家族は、被告人乙山に経本などを差し入れ、旧知の友人もその更生に助力する旨述べている。その他記録上表われた被告人乙山に有利な全事情を併せて検討し、死刑が究極の刑罰であることに思いを致し、その選択には格別慎重を期するべきことを考慮すると、被告人乙山に対し死刑を選択することにはちゅうちょを覚えざるを得ず、その選択がやむを得ないとはいい難いから、無期懲役に処することにする。

五 よって、被告人甲野を死刑に処し、被告人乙山を無期懲役に処することとし、主文のとおり判決する(求刑被告人両名にいずれも死刑)。

(裁判長裁判官柴田秀樹 裁判官村木保裕 裁判官西村康一郎)

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